社内転職で自らの才能を発揮できる新キャリアを切り開いた経験について話せます

エキスパート

氏名:開示前


■背景
 開発エンジニアとして、自分の開発製品のトラブル対応で、本社工場の研究開発部門から工場勤務に異動して、トラブル対応後も居残り状態になり5年経った頃のこと。工場での商品出荷ルーチンワークに物足りなさを感じていたが、現地オペレータや若手エンジニアの指導の機会には満足感があった。そして大学生の頃に教師になる夢を抱いていたことを思い出していた。
 エンジニアとしてのキャリアは、新技術に着いて行くだけだから、年齢的にいつかは頭打ちになるだろうとの予測をしていた。そして、次に目指すキャリアは、研修講師かコンサルタントだなと考え始めていた。

■話せること
 工場勤務から抜け出す手立てを模索していたら、たまたま全国紙の新聞に掲載されていたコンサルタント募集の記事に目が留まった。直ぐに履歴書と職務経歴書を準備して応募した。応募書類による審査がパスして、面接の要請が届いたのを機会に、上司へ他部門への異動を申し入れ、叶わなければ会社を辞めて転職する旨を伝えた。数日後に上司から、元の開発職に近い部署への異動が内示された。その日が例の面接日の前日だった。新たな職場は仮の異動先と捉えて承知し、転職先の面接はお断りした。
 コンサルタントの希望は途絶えたかに見えたが、異動先の職場から、社内の研修部門に目星を着けて、その部門の管理職に個人的な異動要望メールを送り続けた。その甲斐あって、当の研修部門から試験的な社内研修登壇を打診され、それに応じて登壇に臨んだ。結果は高評価で、研修部門への異動が叶った。
 2段階の異動劇ではあったが、当時はまだ制度化されておらず、10年後にFA制度として新設されることになる社員希望の異動制度を、先取りするような行動が取れたことに、自分ながら驚きを感じた経験となった。
 後日談として、異動先の研修部門での業務において、私が書類審査まで通ったにも関わらず、面接日の前日にキャンセルした、例のコンサルタント会社のコンサルタントの方と会う機会があった。その方から、「あなたは〇〇工場勤務でしたよね」と耳打ちされた。そして、自分が行くことになっていたかも知れないコンサルタント会社に案内された。お茶出しをして下さった女性を指さしながら、コンサルタントの方曰く「彼女はあなたの会社から転職してこられたのですよ」。そのコンサルタント会社に転職することは無かったが、そのコンサルタントの方とは、しばらくの間、仕事を通じて交流させていただけた。
 自分の才能を活かす機会を、自分の意志で切り開くことの意義を、強く感じた経験である。

■その他
 結局はエンジニアとしてのキャリアは16年で、その後は研修担当および研修講師として18年勤務した後に独立し、フリーの研修講師としての活動を続けている。

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氏名:開示前

1982年~1997年
 大手企業にてLSI(半導体集積回路デバイス)の開発と製造に従事しました。この間に、自社の大型汎用コンピュータ向けデバイス、米国のスーパーコンピュータ向けデバイスの開発プロジェクトのリーダーを担う経験をしました。
 開発と製造に関わるトラブルシューティング(問題解決)の作業を行う中で見出した発見を元に、複数の国内および海外特許を取得し、学会での発表も経験しました。
1998年~2016年
 同企業内で、研修の企画・開発・設計・教材作成・講師・運営というインストラクショナル・デザインに沿う業務を一通り担いました。講師としては「プレゼンテーション」「論理思考」「問題解決」などを担当しました。
1996年~現在
 同企業でのOB講師を継続つつ、フリーでの教育・研修事業を始めました。直接に講師を担うだけだなく、研修開催の支援も行っています。


職歴

スパイラルアップ&チェンジ・アカデミー

  • 代表 2016/9 - 現在

富士通株式会社および株式会社FUJITSUユニバーシティ

  • 1982/4 - 2016/4

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