中小同族会社における破産回避についてお話できます

エキスパート

氏名:開示前


山田化学:1.アメリカ進出計画の現場への支持ミス
     2.本社経営のいくつかの速やかな欠陥是正
     3.社長のトップセールスを持ち込んだこと
     4.為替の先物予約が1年円高ロスを救済したこと
     5.限界利益による損益分岐点が経営指針として機能
     6.商社機能をみづから立ち上げた

■その他
どちらでご経験されましたか?: 山田化学工業(株) 前職 社長
いつごろ、何年くらいご経験されましたか?: 1990年から2012年まで
その時どのような立場や役割でしたか?: 社長
得意な分野・領域はなんですか?: 長瀬産業(化学品専門商社)
        機能不全のヨーロッパ駐在事務所を現地法人化し初代社長。黒字化
山田化学(感圧感熱色素メーカー)
        長瀬から転職直後アメリカ現地製造子会社社長兼任
        倒産寸前を救済。経営を刷新。
この分野は今後どうなると思いますか?: 山田化学 受託を本格事業化し黒字に貢献していく。
誇りに思う成果はなんでしたか?: 長瀬産業:欧米駐在事務所の現地法人化の発案と実施
山田化学:経営の初歩的ミス是正とリーマンショック円高危機を乗り越え経営を変えた。

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氏名:開示前

商社長瀬産業輸出部配属入社、2年後で5年ニューヨーク駐在、帰国後主にアジア担当、後、ドイツ6年駐在初代現法社長、帰国後意に反してアメリカ外資日本コダック(株)に移籍され 化学品業界から世界のコダックフィルム業界へ、その後50才でメーカー山田化学に引き抜かれ、アメリカでの現地生産子会社初代社長兼任 本社では通年最終専務で22年、70才で本社すでに退任確定済みの前日にオーナーに乞われて一晩で突然社長となり2年後倒産の危機を脱出した。一方長瀬との合弁米国工場ソフィックス社は当初からの悲劇的経営ミスを修正し、5年後には借り入れゼロ、累損ゼロを早くに達成した。商社、メーカー、外資、欧米含めて社長、兼任するも、リーマンショックをきっかけに本社および福井の子会社が倒産危機乗り越えて黒字に復活させた。72才で退社その間50才からフィクション=小説を余暇に書き始め自費出版。退職後76才現在までは夜はノンフィクション執筆活動中。昼間は苦手だった長中距離ランニングの座学と実際にチャレンジ、1万5千人収容する陸上競技場で客もランナーも居ないすいてる日 月→金 一人 1秒でも早く1メートルでも遠くまで走って鍛えてます。


職歴

山田化学工業(株) 前職

  • 社長 前職 2010/5 - 2012/6

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