「黒字にしてなんぼや」が社長の第一の責務

エキスパート

氏名:開示前


1.製造企業山田化学が身内に商社機能を育てたこと
  1-1 貿易業務の修得
  1-2 英語(会話含めて)修得
2.新規事業開拓のため情報発信がネットを利用し充実してきた。

■その他
どちらでご経験されましたか?: 長瀬ドイツ現法  初代社長
山田化学工業(株) 社長
長瀬との米国合弁 ソフィックス社長
子会社      福井山田化学社長
いつごろ、何年くらいご経験されましたか?: 長瀬産業ヨーロッパ社長 1977年-1983年
ソフィックス社長    1990年ー2012年
山田化学兼福井社長   2000年ー2012年
その時どのような立場や役割でしたか?: 1.長瀬欧州事務所を現法化し初代社長となる。 
2.トップセールス実施 カラーフォーマー欧米ユーザーとの価格交渉、戦略を決定
3.長瀬から山田に移籍し判明した合弁ソフィックス社立ち上げ採用人数。
  当初計画のまま62名採用決定寸前を24名に戻し決定的な倒産危機を回避
得意な分野・領域はなんですか?: 1.顧客トップとの通訳なし(英語)交渉
2.戦略-原料メーカーとの安定供給体制と価格協力などネットワークの構築する
  その戦略を顧客に適時説明する。
3.山田品(製品)ユーザーとの同様なネットワーク構築しトップ同士で共有する
4.総代理店の商社長瀬産業との緻密な連携の構築
5.原料を直輸入できるよう社内に商社機能を育てる。
この分野は今後どうなると思いますか?: 最大の危機山田化学は黒字に戻り今後は新規受託事業を充実し発展するだろう。
誇りに思う成果はなんでしたか?: 1.リーマンショックを乗り越えた
2.初期の眠っていた銀行借り入れ元本を激減した
3.すべてのかかわった会社は赤字経営から黒字経営に体質が変わった

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氏名:開示前

商社長瀬産業輸出部配属入社、2年後で5年ニューヨーク駐在、帰国後主にアジア担当、後、ドイツ6年駐在初代現法社長、帰国後意に反してアメリカ外資日本コダック(株)に移籍され 化学品業界から世界のコダックフィルム業界へ、その後50才でメーカー山田化学に引き抜かれ、アメリカでの現地生産子会社初代社長兼任 本社では通年最終専務で22年、70才で本社すでに退任確定済みの前日にオーナーに乞われて一晩で突然社長となり2年後倒産の危機を脱出した。一方長瀬との合弁米国工場ソフィックス社は当初からの悲劇的経営ミスを修正し、5年後には借り入れゼロ、累損ゼロを早くに達成した。商社、メーカー、外資、欧米含めて社長、兼任するも、リーマンショックをきっかけに本社および福井の子会社が倒産危機乗り越えて黒字に復活させた。72才で退社その間50才からフィクション=小説を余暇に書き始め自費出版。退職後76才現在までは夜はノンフィクション執筆活動中。昼間は苦手だった長中距離ランニングの座学と実際にチャレンジ、1万5千人収容する陸上競技場で客もランナーも居ないすいてる日 月→金 一人 1秒でも早く1メートルでも遠くまで走って鍛えてます。


職歴

山田化学工業(株) 前職

  • 社長 前職 2010/5 - 2012/6

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