経営コンサルティング(新製品開発、新事業開発、問題解決、技術調査、市場調査など)

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エキスパート

氏名:開示前


具体的な経験の内容

■ 実績や成果
1.新製品開発:三菱電機でホールボデーカウンター、複式中性子回折装置(三菱電機社長表彰、日本電機工業会賞を受賞)、スラッジ凍結融解処理装置(三菱電機重電事業部長賞を受賞)、オーロラビジョンなどを開発した。オーロラビジョンは野球場、競馬場、広告用の大型ディスプレーである。1980年に1号機をロサンゼルスのドジャーズ・スタジアムに納入した。1台10億円以上だが約2,000台が売れた。東京競馬場の11mx66mのものは32億円でギネスブックに載った。ドバイ競馬場に納めた7mⅹ107mのダイヤモンドビジョン(オーロラビジョンの輸出名)もギネスブックに載った。
2.三菱電機で「ソフトサイエンスグループ」という社内シンクタンクを作り、技術調査、市場調査、企業調査などを行なった。三菱グループには三菱総合研究所と言う日本の代表的シンクタンクがあるので、ソフトサイエンスグループは、一般論は最小限に絞り三菱電機指向を特徴にした。クライエントは社内の本社、工場、研究所、営業所、子会社に限定した。20名の優秀なスタッフを叱咤激励し、14年間に700件の報告書を作成した。1件100万円~3,000万円で受注し年間売上は最高3億円だった。
3.日本大学ビジネススクールのベンチャーコースの主任教授に就任したときに、他校とどう差別化するかを考えた。日本大学卒の社長が最多の3万人で1位、2位の慶応義塾大学の1.7万人に大差をつけていた。そこで“社長をつくる大学院”を標榜して学生を募集した。入学試験の成績よりも面接試験で学生の起業意欲を重視した。私は7年間に350名の学生を指導し、77名の社長を誕生させた。
■ そのときの課題、その課題をどう乗り越えたか
1.「市場ニーズ指向の新製品開発法」を確立し、市場ニーズを調査し、問題を見つけ、それを現有技術で製品化するので、開発費が少なく、開発期間が短く、必ず売れる。この方法をノキア、サムスン、パナソニックでも社内研修を行なった。問題解決に270回のブレインストーミングを行なった。拙著『三菱電機「情報交換会」』参照。
2.1970年代の情報源は書店、図書館、インタビュー、現地調査しかなかった。コピー機、ワ―プロ、パソコンもなかった。拙著『調査の進め方』参照。
3.毎土曜日の放課後、1,000万円の創業資金を懸けて「実践ベンチャー起業研究会」を開催し起業家、弁護士、公認会計士による15回の講義の後「シリコンバレー研修旅行」を毎夏休みに開催し月~金に15社を訪問し、1社で100件の質問をし、帰国後報告会を開いた。初渡米の学生も多かったが観光は一切せず、サンフランシスコのゴールデン・ブリッジは飛行機の窓から見ることにした。3食はファースト・フード店で食べ、日本でフランチャイズ店を開く場合のメニューはどれにすれば売れるかを考えながら食べることにした。宿泊はホテルではなく安いモーテルを選び、2人相部屋にした。大企業の社員である学生もいるので、そのレベルでベンチャーを始めたら、創業資金は直ぐになくなるぞと言うスパルタ教育だった。
■ 業界構造の知見の有無
1.電機業界(新製品開発:産業機械、家電、)
2.ベンチャー業界(日本語教育“地獄の特訓“、AI活用婚活センター)
3.コンサルティング(経営多角化、工程改善)
■ 関連する論文やブログ等があればURL
1.著書・訳書のリスト(53冊)、
2.講演テーマリスト(国内1,000回以上、学会100回以上)、
3.論文:
3.1「海に近い砂漠に雨を降らす方法」(文部省の萌芽的研究費を獲得)
3.2「公平で脱税不能で低徴収費の「e税 (いいぜ― )」制度の提案」
3.3「戦争なしに技術を進歩させる<世界技術大賞(仮称)>の提案」(100兆円プロジェクト)ノルウエー     
の国際革新専門家学会(ISPIM)で最高論文賞を受賞
3.4「企業における技術予測」(エアコンや冷蔵庫用のフレオン圧縮機工場に30億円の投資をしても電子  
冷凍が実用化されて投資が無駄になることはないという報告書を書き3,000万円の調査料を得た)
3.5「東日本大地震・津波・原発事故対策と復興のアイデア」
他多数。
2.情報総合研究所www.jouhousouken.com/
3.22世紀学会 www.22seikigakkai.com/
■ お役にたてそうと思うご相談分野
1.新製品開発(「腰痛予防服(アルキメデス・スーツ)」、「無動力河川遡上船(ボルガ)」、「多言語同時通訳ロボット(とよとみみ)」)
2.新事業開発(ビルシェアリング・システム、カピバラ牧場、海に近い砂漠に雨を降らす方法)
3.問題解決(テレビ工場にハトを入れない方法、冷蔵庫の組立て時間の短縮)
以上

■その他
地域: 日本
役割: 社内シンクタンクのマネジャー
規模: 三菱電機(7万人)

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氏名:開示前


(1)原子力技術者の私が「サンシャイン計画」を立案しました。
私は京都大学理学部物理学科(原子核物理学専攻)を卒業し、原子力発電をやりたくて、三菱電機に入社し、原子炉学校に留学させて頂きました。わの資格で原子力機器工場も建設し管理者になりました。ところが原子力発電の経済性に疑問を持ちました。日本の原子力発電所はよく「トイレのないマンション」と揶揄されますが、廃棄燃料処理や廃炉処理をしなければ安いのは当然です。そこで私は新エネルギーの文献調査をしました。さらにアメリカ。ヨーロッパ、ブラジルなどへ数回技術調査に行きました。そこで得た見聞に私自身のアイデアも加えて三菱電機の中央研究所の研究会で発表しました。それを聞きに来られた本社の顧問が「今の話しを文章にして私に送って下さい」と言われました。そして送ったところはしばらくして「あれをサンシャイン計画にしておいたから」という連絡を頂きました。その顧問は通産省のOBでした。このサンシャイン計画は1974年から18年間に4,400億円の研究費を投ずる一大国家プロジェクトになりました。
私は政府の各種エネルギー関連会議のメンバーに加えて頂きました。また資源・エネルギー学会の創設メンバーにも加えて頂き,企画理事や編集理事をさせていただきました。
後に科学技術庁科学技術政策研究所の客員研究員も務めさせて頂きました。
(2)オーロラビジョンを開発しました。
私は三菱電機の原子力発電から足を洗って新製品開発企画部門に移りました。同期の同僚に比べて一周遅れのスタートなので、技術シーズ指向の新製品開発ではなく、「市場ニーズ指向の新製品開発」を推進しました。これは市場のニーズを見つけ、それを現有技術で解決する手法です。この手法ででオーロラビジョン(輸出名はダイヤモンドビジョン)を企画しました。これは野球場、競馬場、広告用などの大型ディスプレーです。縦8m、横10mのもので10億円もする高価な製品でしたが、1980年にアメリカのロサンゼルスのドジャーズ・スタジアムに1号機を納入して以来38年間に約2,000台売れました、東京都府中市の東京競馬場に納めた 11m×66mのものは32億円でした。これはギネスブックに載りました。アメリカの学会でこの手法を発表したところ、フィンランドのノキア、韓国のサムスン、大阪のパナソニックから社内研修を依頼されました。
(3)日本大学大学院ビジネススクールの主任教授に就任。
三菱電機を定年後、日本大学大学院グローバル・ビジネス研究科ベンチャー・ビジネス・コースの主任教授に就任しました。日本大学は日本最大の大学で卒業生の社長が3万人で日本一です。そこで私はこの大学院を「社長をつくる大学院」としようと考えました。それには入学試験の成績よりも、面接で起業を目指す意欲のある学生を選んで入学させました。このビジネススクールには5つのコースがあります。各コースの定員は春学期5名、秋学期5名でしたが、私は在学中に創業できるビジネスプランを書いた学生は”寿退学”をさせますから、と言って日本大学の総長から春学期10名、秋学期10名を入学させる許可を頂きました。2学年で40名ゼミ生には授業の他に毎週1時間の個別指導を行ないました。そのため私は朝9時30分から夜11時まで研究室にいました。土曜日には課外授業として「実践ベンチャー起業研究会」を開きました。これには1000万円の創業資金を懸けました。ベンチャー企業の社長、弁護士、公認会計士を講師に呼んで、専門知識も伝授しました。8月の夏休みに「シリコンバレー研修旅行」を実施しました。月~金の5日間に午前1社、午後2社の合計15社を訪問し、各社で100問質問し帰国後報告会を開くというハードスケジュールでした。その結果私が指導した350名の中から77名の社長が誕生しました。
(4)22世紀学会を創設し理事長に就任。
私は日本大学を定年後、1,000兆円の国債という借金を子や孫に残したのでは天国に行けないと思いました。そこで日本と世界の持続可能性の研究をすべく22世紀学会を創設し、毎月研究会を開催しています。115回x2名の講師に22世紀まで生き残るアイデアを提案して頂きました。私も「 戦争なしに技術を進歩させる<世 界技術大賞(仮称)>の 提案(100兆円プロジェクト)」、「公平で脱税不能で低徴収費の「e税 (いいぜ― )」 制度の提案」、(夏は雲がない)「海に近い砂漠に雨を降らす方法」など画期的なアイデアを提案しています。
以上


職歴

情報総合研究所

  • 情報総合研究所・代表 2006/5 - 現在

情報総合研究所

  • 代表 2006/5 - 現在

イー・アソシエイツ株式会社

  • 取締役 2000/1 - 2014/6

日本大学大学院

  • 主任教授 1999/4 - 2010/3

金沢工業大学

  • 教授 1981/4 - 1999/3

三菱電機

  • 研究主監 1960/4 - 1991/3
  • 研究主監 1960/4 - 1983/6

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