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エキスパート

氏名:開示前


《職務経歴》
1990年1月、モータースポーツ経験を活かし、同年創業の㈱T&Iコーポレション
(TI サーキット㈱の旧称)に創業メンバーとして入社。営業員、営業課長として勤務。
高額なサーキット会員権(ゴルフ会員権と同様)の営業ではトップセールスでありながら、
サーキット自体の日常業務の仕組み創りにも参画。
1994年4月にはF1パシフィックグランプリの主催を経験。アイルトン・セナ選手とお話
したのは忘れがたい思い出です。

1994年9月、TIサーキット㈱を円満退職し、サーキットイベント企画会社 ㈱リバーフィールド
を創業。オートバイレースとしては国内最大の参加者数を集める趣味のオートバイレース
”モトルネッサンス”を主催。
主な取引先は、㈱ホンダレーシング、ヤマハ発動機㈱、㈱スズキ二輪、㈱カワサキモータ
ースジャパン、ブリヂストン㈱などの大手と関西・中四国近郊のオートバイショップ。
社員3名で年商1.5億円前後で推移。

2002年8月、㈱リバーフィールドを後進に譲り、 TIサーキット㈱に常務取締役 総支配人として
再入社。サーキットオーナーから経営再建を託され、大幅な改革を行ない初年度に過去最高益
を挙げる(年商約10億円、営業益約2.2億円)。

2003年4月、同社の顧問弁護士の背任などが原因で、TIサーキット㈱は会社更生法の適用を受け、
事実上の倒産に追い込まれる。現場責任者として管財人の弁護士とともに事業再生に奔走する。

2004年8月、事業再生を果たし、㈱岡山国際サーキット取締役 総支配人に就任。

2005年9月、㈱ 岡山国際サーキットの親会社(ユニマットホールディング、当時)との安全管理など
経営方針の違いから同社を退職し、㈱リバーフ ィールド代表取締役に復任 。

2005年12月、㈱ 岡山国際サーキットの親会社(同上)との紛争で㈱リバーフィルドを自主整理。

2006年3月、㈲ディメンションザインを創業。㈱オートポリス(川崎重工業が所有するサーキット)
の経営アドバイザーを担当(1年間)。その他、主にピレリジャパン㈱の販促イベントの企画立案、
運営を担当(現職)。

2009年7月、地域医療崩壊の象徴として報じられ、閉鎖されていた銚子市立病院の再生事業に参画。
銚子市立病院再生準備機構(医療法人設立前の任意団体)の事務局として医療法人の設立を進める。
(㈲ディメンションデザインより出向)

2010年7月、公設民営方式で医療法人財団 銚子市立病院再生機構(=銚子市立病院)を開業。
東京事務所における医師招聘部長に就任。医師採用、面談の窓口として従事。
(㈲ディメンションデザインより出向)

2013年3月、5年計画の目標を4年で成し遂げ、(医)銚子市立病院再生機構を円満退職。

2013年3月、オートバイレース専門誌”ライディングスポーツ”誌を出版する㈱オフィス
とらくしょんの営業企画部長に就任。(㈲ディメンションデザインより出向)
広告営業活動に加えて、日本人選手を世界に送り出すイベントを創出。KTMルーキーズカップ
ジャパン、ピレリカップ600チャレンジシリーズなど。

2017年2月、同社の東南アジア戦略のためクアラルンプールに1年間着任。出版不況下でも生き残る
コンテンツを持つべく、アジアロードレース選手権主催者ほか東南アジア各国のレース主催者との
連携関係を構築。

2018年2月、同社の東南アジア業務撤退に伴い円満に退職。

2006年の(有)ディメンションデザイン創業以来、継続しているピレリジャパン㈱のイベント企画
立案、運営、マーケティングデータ分析などを担当。(現職)

■その他
地域: 岡山、東京、千葉
役割: 常務取締役 総支配人、病院再生事業計画の立案、医師招聘担当部長、アジアへのネットワーク構築
規模: 従業員100名以下

プロフィール 詳細を見る


氏名:開示前

何事にも前向きです。困難に見える問題にも”成功形のイメージ”を常に持ちながら取り組み、成し遂げて参りました。


職歴

(有)ディメンションデザイン

  • 2006/3 - 現在

(医)銚子市立病院再生機構

  • 事業計画立案、医師招聘部長 2009/7 - 2013/3

㈱TIサーキット(現 岡山国際サーキット)

  • 2002/8 - 2005/8

謝礼金額の目安

¥30,000 / 1時間

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