自己紹介
* うま専門獣医師 荒井 亜紀
* 大阪生まれである。商いに好かれているかは別として片思い的に好いている。肩書きがいっぱいあって、取り敢えず獣医と書いた。
* 高校卒業後北に向かったっきり、もう長いこと北海道人で、大阪の中高一貫校に奉公に出したどさん娘と、母ひとり子ひとりの所謂シングルマザーを17年間、その間甘い恋にも脇目もふらず、気がつけば半世紀。競走馬の獣医として男性社会にドップリ27年揉まれに揉まれ。趣味が高じ乗馬屋さんになって20年。北海道知事からアウトドアガイドの10年選手みたいな資格をもらって、乗馬指導者、審判員、昨今心の学びが叫ばれるスポーツコーチも現在ステップアップ中である。獣医師になるには大学に6年間も通学したから、もう大学に行くような資格は取りたくないけど、最近独学で販売登録者の試験にも合格した。
* 人生はのんびりしているほど長くはない。47歳で劇症のリウマチを患い、職業人から早々とリタイヤするのだからわからない。この3年間は激闘の病院生活。股関節の人工骨頭に始まり、今年は膝の靭帯再建術と肩の関節も入れ替えた。もはやサイボーグともいうべきニューマシンで、これからの残りの旅のドライヴが始まる。身も心も軽やか、ついでに財布も軽やか、命あっての物種ドンと来いである。病院ではポジティヴ過ぎて消灯を過ぎてもこうしてパソコンに向かっているのだから、やがて看護婦さんや医師が個室を与えてくれるようになった。断っておくが別に金銭授受があったわけではない、個室といっても見守りの必要な方がおられる隣の医療道具小屋みたいな場所なんだが、広いし何より4人部屋みたいな他人に対する気遣いは一切無用だ。今も痛い痛いげーげーっと言ってる手術直後の患者が今晩の相棒だ。ここに限らず3年間でお世話になった5つの病院すべてで、自然と同じような経験をさせていただいた。リハビリは時にはマッサージ付きの極楽だし、最近の病院食ときたら料亭並みのサービスだ。
* だから病院という別荘で、ストレスフリー爽やかな毎日を充実感いっぱいにしたくて、私はアイデアが次々と止まらなくなりこの3年間で起業して大阪にうま牧場を作った。
* 理由は単純である。大阪のリハビリ病院に居る間、人には頼んではきたが北海道に残しておれず、結局自分の馬たちを呼び寄せ一緒に引っ越してきたのだ。大阪には日本一と聞いて入れてもらったリハビリ病院があった。人工股関節手術後13日目で馬に乗った人も他にはいないだろうが、毎日外出させてくれた病院もここだけだろう。外出届には毎日、
* 「一緒に連れてきた馬たちの世話に行きます。」
* 当然のことながら、大都会大阪で馬を飼うスペースなどある筈もなく、当初は建物の隙間、谷間など条件が少しでも良いところに移動を繰り返した。牧柵などの牧歌的な囲いが望める筈もなく、スーパーマーケット予定地をお借りしたり、極め付けは3年経った今、馬たちが放たれていた空き地が開発され住宅が立ち並んだりしたことかな。
* 動物学的には馬には何か仕事を与えた方が良く、強力な後ろ盾を得て、私たちも汗を流し馬とともにボランティアに打ち込んだ。
* 一昨年には一般社団法人を設立。今後は大阪で馬の生産をし、馬と遊ぶ場を創造していく予定だ。
* 獣医師の職も返り咲くことが可能なら、馬の高気圧酸素療法を手掛けてみたい。健康だった頃に用意を重ねてきていたが、これまたひょんなキッカケで新しい知見を得る事が出来て、自分の中では扉が開かれている。
* 若い頃から一見無駄に思われるような遊び心から発展した投資も、目標を集約して突き詰めていくと、そのどれもが宝物である。
* 夢を諦めないで努力を重ねればそれは叶う。無駄な時間は費やさないが、休むとき例えば、手術後2日間はたっぷり眠る、痛みもそっちのけでこれ以上ないほどに。こんこんと眠る。のだよ、今夜の隣の病人さん! (さっきから15分おきに看護師さんを呼んでるよ)
職歴
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(株)NOMADOC /馬専門獣医師、登録販売者、ホーストレッキングガイド、日馬連審判員・指導員、日本スポーツ協会コーチ
1991/4 〜在職中