次世代自動車技術の展望、技術の進化予測について話せます

エキスパート

氏名:開示前


■背景
1985年 自動車用エンジン吸気系設計担当時、自動車技術業界にメカトロニクスの嵐が猛烈な勢いで吹き込んで来た中。クルマの三要素、走る/曲がる/止まる の「走る」要素にメカトロニクスの導入の基礎研究を指示された。いわゆるTBW(Throttole By Wire)の研究であった。安全を最優先する自動車技術者にとって、機械的に安全を担保してきたものを、電線(Wire)に置き換えることに対するアレルギーは凄まじい中の開発は、「安全」に対する絶対的な信頼性を持ったシステム、デバイス設計をし、鉄壁な理論武装の上でのTBW技術の基本型を構築。その後、量産を前提とした開発ステージを経て、量産開発をすることになった。TBWデバイスの開発責任者を務め、量産開発は量産メーカーに出向して行った。かくして、1994年秋、世界初となるTBWシステムを搭載したNSXは1995年モデルとして発売を開始された。その後、TBWの普及、SBW(Sttring By Wire)、BBW(Braking By Wire)とクルマの未通の要素のDBW化が進み、自動運転(AD)や運転支援システム(ADAS)の普及に繋がった。
高い壁ではあったが、あの時に乗り越えた苦労が、将来の安全技術の礎になっていたことをエンジニアとして誇りに思っている。
1996年からは、次世代技術の基礎研究を担当。FCEVの基礎研究から市販用FCEVの開発で未知の燃料電池の開発責任者代行を担当した。
1999年からは、豊富な次世代技術開発位の経験を活かし、次世代最新技術の普及に向けた、技術渉外を担当。
FCEV技術の枠、企業の枠、業界の枠、国の枠を超えた幅広い分野で、多くの次世代技術普及に向けた渉外活動を展開した。
2017年定年退職
2018年からは、在職時の知見を活かし、技術コンサルタント、技術アドバイザー、技術顧問、大学の特別講義等を担当している。

■話せること
1985年より、長きに渡り次世代モビリティ技術開発に携わって来ました。世の中の期待、人々の要望、夢のある未来 を描き駆け抜けて来た経験を元に、進化を続ける技術と、深刻さを増す環境問題、真の技術を理解できず、誤報道を続けるマスコミ、惑わされる人々。
少しばかり考えれば理解出来ることなのに、正しく伝わらない事実と、愚直に開発の手を止めることのないエンジニアと彼等の作り出す最新技術を分かりやすくお話しさせていただきます、

■その他

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氏名:開示前

○技術者としての創成期:
 昭和飛行機工業では、航空機内装備品の設計、空港レーダーの設計、等を担当。鉄、アルミ、複合材料を用いた構造物の設計を担当して来た。つくば万博で走行したHSST(リニアモーターカー)のフロア設計種担当後、退職した。
 1985年Hondaに転職。本田技研の研究開発組織、本田技術研究所で24年間パワープラントの開発に従事。専門は設計。
最初の10年間はエンジン補器の設計を担当。当時は「メカトロニクス」全盛の時期で、燃費改善、自動制御スロットルボディを(DBWまたはTBW)を基礎研究から量産開発まで設計担当、プロジェクトリーダーとして1995年のNSXから搭載した。
これまで機械式に拘ってきた自動車技術者にとって、電子制御スロットルの採用は、大きなブレークスルーとなり、クルマの基本である、走る(TBW)、曲がる(SBW)、止まる(BBW)にITS技術が融合し、現在のAD/ADAS技術へと展開されてきたのである。
1996年から約24年、次世代自動車技術の研究に従事、水素燃料電池の将来の環境技術としての可能性と将来性を理解し、燃料電池車の開発に従事。基礎研究から量産開発までを担当し、管理職に登用され、燃料電池本体の開発責任者代行、燃料電池作動システム機能統括等を務めた。技術の鍵となる”水素”はようやく近年、次世代のエネルギー源として有望視される様になってきた。
Hondaでは、1995年頃、BEV専用車”EV-plus"を発売しており、BEVに関する基本的な長所/短所は知り尽くしており、ICVがBEVに置き換わることは無いものの、MEV以下の乗り物には親和性が高いこと。大型、長距離を走る乗り物にはFCEVとの親和性が高いこと。
から、大型乗用車、バス/トラック、鉄道車両、産業機械 等へはFCEVの親和性が高いこと。
現在のインフラが活用できる(インフラ投資が不要な)HEVが乗用車の主流になるとの基本的な考え方は変わっていない。
 1994年 日米で発売した「FCX」には世界初FCV用金属セパレーター使用の内製スタックを搭載。
 1998年 日米で発売した世界初FCEV専用車「FCX Clarity」には、FCEVとして最適発電システムを搭載した。

○技術専門領域の拡大、業界を越えた人脈形成期
1999年、開発部門から本社(本田技研工業)に異動。技術担当部長として、約8年間は自身の開発技術専門領域である、次世代自動車技術に関する知見を活かし、燃料電池車、電動車両(PHEV、BEV、MEV等とITS領域)の市場投入、次世代自動車技術の導入・普及に向けた多くの産官学連携実証実験プロジェクトや国が海外向けに次世代技術をプレゼンテーションするプロジェクト責任者や経産省/国交省/環境省/内閣府等の補助金事業等、産官学連携実証実験を担当し、革新技術の立ち上げに向けた渉外活動を技術者の知見を活かし渉外活動と社内の取りまとめを担当した。
自動運転(ITS)に関しても、経産省、国交相、総務省とや同業他社、異業種、学との普及に向けた取り組み推進を担当。
国交省主催の超小型モビリティの実証実験では、地方自治体、学との連携により、実証実験を推進した。研究所時代は、クルマのパワープラント開発が主体でしたが、技術渉外担当となってからは、パワープラントはもとより、それを支えるインフラ技術、社会需要性等々、次世代モビリティ全般に関する案件の対応を通して、モビリティに関する幅広い知見を得られました。
幅広い知見、経験を活かし、経産省の次世代技術ロードマップ策定メンバーや海外政府との次世代技術に関するMOU締結、次世代技術普及促進に向けた「研究組合」の立ち上げ等のに尽力等の豊富な経験が私の武器です。
 
 Honda退職後は、(公社)自動車技術会 規格課にて、自動車技術の規格化(ISO、SAE、JIS、JASO等)のプロジェクトリーダーを歴任。
その後、2018年から on.cpmpanyとして、自動車の環境技術を基礎として、次世代モビリティの行方や世界中の環境関連情報を収集、整理した上でのコンサルタント、アドバイザー、技術顧問、講演活動、大学の特別講師等を歴任して来ました。
現在は、某企業の技術アドバイザー、某大学から非常勤講師の打診を受けております。

 エンジニアとしての歴史を振り返ると、世の中にないもの、新しいものの基礎研究から量産開発までを一気通貫で担当させてもらえる好機を得られた事には感謝するのみである。開発当時は批判が多かった中での新しいものの技術開発は苦難の連続でしたが、気が付くと、その時の多くの技術が時を経て、次世代モビリティのブレークスルーの鍵を握っているものばかりであると言う事実には驚くばかりです。エンジニア冥利に尽きるとともに最新の技術動向の調査を続ける毎日です。
重ねて、Hondaでの32年、量産車開発とは縁が薄かったが、一貫して、次世代の革新技術の立ち上げを担当できたこと、「ないものをつくる」ことは、実に苦しく辛く、闇の中を手探りで進むような毎日であったが、貴重な経験の連続であったが、貴重な機会を得るチャンスを得られたことに感謝している。
上記の様にモビリティに関する環境技術、要素技術、必要技術、社会需要性に基づく技術の展開予測等々、幅広い領域の経験に基づく技術の繋がりや俯瞰的な視点での意見、幅広い知見や人脈持つ私の強みを活かし、クライアント様の疑問やご質問に対し、課題に関わる技術の根幹、成り立ちから(そもそも・・・だから、こうなって行く・・・)を解りやすく、丁寧にご説明させて頂きます。
技術者にありがちな「木をみて森を見ず」は、私には当てはまらず、技術を軸に技術に必要な社会的需要製、社会的親和性の観点をお始め、多角的/俯瞰的に見た観点でのお話ができることが私の価値だと信じております。
尚、謝礼金額は高めに設定しています。これは、しっかりとしたアドバイスができることに加え、技術情報を得る事に対するリスペクトのないクライアント様と関わる事を望まぬからです。
その点、ご理解いただければ幸いです。場合により交渉には応じます。
よろしくお願いいたします。


職歴

日本大学理工学部機械工学科

  • 特別講師 2021/10 - 現在

ザマ・ジャパン株式会社

  • 技術アドバイザー 2021/1 - 現在

社名非公開

  • フリーランス 2018/10 - 現在

公益社団法人自動車技術会

  • プロジェクトリーダー 2017/7 - 2017/12

本田技研工業株式会社

  • 次世代モビリティ技術 担当部長 2009/1 - 2017/1
  • 主任研究員 1999/4 - 2008/12
  • 研究員 1996/4 - 1999/3
  • 研究員 1985/5 - 1996/3

社名非公開

  • なし 1981/4 - 1985/4

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謝礼金額の目安

¥70,000 / 1時間

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