元公立美術館管理職。文化行政の課題や公的施設の運営、業務全般について話せます
元勤務先には専門職として入り、約30余年の在職期間のうち、前半の約3分の1の10年間を学芸員(専門職)として、その後の約3分の2の20年余りを管理職として勤務しました。
美術館の仕事は多岐にわたり、私の携わった仕事分野も専門職分野から行政・管理職分野まで多岐にわたります。
専門職の立場からは、主に展覧会の企画開催事業や美術品の収集事業に関わる学芸部門に属し、特に、展覧会開催事業の面では、開館以来トリエンナーレ方式(2年おき開催)で定期的に開催した国際現代美術展(第7回まで開催)を担当し、地方におけるインターナショナルな展覧会開催の先駆け的役割を果たすとともに、美術品収集事業の分野では、国外に出しても十分に誇ることの出来る、我が国有数の欧米の近代・現代美術コレクションを構築しました。また、これらの事業と並行して、また、学校と連携した定期的な子供美術展の開催やデザイン(グラフィック、プロダクト)展の定期的開催など、地方の新しい芸術、文化の発信のための基礎作りや産業振興のための基礎作りを行いました。
一方、行政・管理職の立場からは、管理職として勤めた約20年間はバブル崩壊、並びに我が国の経済低迷期にあたっていたため、元職場も県の行財政改革の流れの中に組み込まれ、厳しい経営改革を余儀なくされました。特に、大きな課題となったのは予算の大幅削減による事業体系の見直し(展覧会、作品収集事業の見直し、縮小)、施設の民間活力導入に向けての指定管理者導入問題(導入にあたっての制度設計、職員の身分保障等)。後者は、職員の身分や仕事意欲とも絡む難しい課題でしたが、関係部署や職員の協力を得、館の活力や社会的信頼や評価を落とすことなく目的を達成することが出来ました。その他、危機対策、情報公開等の新たな社会の要請課題にも取り組みました。
こうした長年にわたる美術館の現場体験や文化行政体験を基に、今日における地方行政、地域の活性化、これからの美術・文化の動向や課題、文化施設のマネージメントや中長期的、短期的な課題やニーズなど、現在、大学で行っている授業内容等を交えて、お話出来ることは沢山あるように思います。
■その他
【どちらでご経験されましたか?】
富山県(県立近代美術館)
【いつごろ、何年くらいご経験されましたか?】
1979年5月から2010年3月まで勤務(定年退職)。
【その時どのような立場や役割でしたか?】
1979年5月~1989年3月まで、学芸員(専門職)として主に展覧会開催、作品収集事業を担当。
1989年4月~1999年3月まで、学芸課長=美術館専門職部門(作品収集・展覧会等、事業企画実施など)責任者。
1999年4月~2010年3月まで、副館長=副館長(一人体制)として、専門的立場から、異動で赴任の歴代行政職館長を補佐。
【一番誇りに思う成果はなんでしたか?】
内外の数多くの優れた美術作品に出合えたこと。またグローバルな視点で欧米の美術や美術館体験出来たこと(展覧会開催のための調査、交渉、更新等を含めて)。特にアメリカの美術、美術館史の研究は、私のライフワークになりました。
・高度成長時代とバブル崩壊後の低成長時代の両時期に文化施設、経営のかじ取りを体験した出来たこと。行政と開館以来の館のポリシーの板挟みになりながら、苦しいながらも館の再構築、持続的発展に貢献出来たこと。
【この分野は今後どうなると思いますか?】
芸術・文化はいつの時代や社会に偏在し、重要な意味・意義を有していますが、特に今日の日本では、社会環境の劇的変動が芸術や文化の在り方に大きな影響を及ぼしています。少子高齢化社会、先端・IT・AI技術、情報・SNS社会、アニメ・デザイン・バーチャル文化、東京への一極集中と地方の衰退・創生、国・自治体主導の文化政策の在り方(特に、新型コロナ流行前の外国人観光客のインバウンド政策など)の諸問題に加え、目下、流行している新型コロナの美術・芸術文化への影響(施設の経営、在り方への影響を含めて)は、日本の文化の行方を大きく、隅々まで変えて行きそうです。こうした混とんとした日本の文化状況は、グローバルなパンデミックの行方と並行しながら、良きにつけ悪しきにつけ、当面、続いて行きそうです。
【得意な分野・領域はなんですか?】
美術・文化から見た地方自治と文化行政。美術館・博物館の管理運営(マネージメント)や事業展開。美術・文化の研究・評論(特に、欧米の近代・現代美術・文化)。翻訳(日英・英日)他。
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【地域】 富山県、日本国内、アメリカ、イギリス、フランス等。
【役割】 公立美術館学芸課長を経て副館長
【規模】 県の出先機関としては約20名、県全体としては約15,000名