海外事業(特にアジアの中華圏ビジネス)の販路開拓における困難に直面した時、障害克服のため、経営者・事業責任者がとる行動についてお話できます
1.シンガポール駐在(1981年5月〜1985年9月)では、インドネシアの繊維製造子会社を立て直しました。債務超過を解消し、黒字化を定着させました。インドネシア国内販売一辺倒による国内の過当競争を避け、オーストラリア向け輸出販路を新規に開拓することができました。インドネシア通貨が恒常的に弱いことに着目して、輸出企業に変身させたことが勝因でした。
2.「国際ナノテク会議」(2014年ベネチア)に、在日イタリア大使館の招待を受け、参加しました。「成熟産業のイノベーション」をテーマに、英語論文を講演会で発表しました。
3.マネジメント・メンターとして、「新現役交流会」(関東経済産業局及び、関東地区の信用金庫が実施)に参加し、中小企業の経営相談、コンサルタントを行っています。(2016年3月以降)
■その他
どちらでご経験されましたか?: 1.香港及び上海の透析センターを経営した。
2.透析機器の販売推進のため、中国国内の代理店網を整理し、代理店別テリトリーの役割と責任を明確にした。
3.マレーシアのフィルム工場早期立上げのため、フィリピンなど新規市場を開拓し、1年間で多数の顧客を獲得した。
いつごろ、何年くらいご経験されましたか?: 香港駐在:1995年5月〜2000年3月、5年間
他の海外駐在(シンガポール駐在):1981年5月〜1985年9月、4年間
その時どのような立場や役割でしたか?: 1.東レ香港では取締役・部門長として、事業トップの責任者として、決定権限あり。透析センターは現地100%法人のため、決定を本社に報告する立場にあった。
2.フィルム事業も同様の立場にあり、事業方針を決定し、担当部署を牽引した。事業推進に必要な現地での交渉はすべて自分で取り仕切った。
一番誇りに思う成果はなんでしたか?: 1.赤字の香港透析センターを閉鎖し、上海透析センターの事業(病床数)を倍増し、順調な事業拡大につなげたこと。
2.中国本土の主要病院を代理店が定期的ラウンドすることによって、機器のメンテを行うなど、きめ細かな対応がとれ、病院の信頼を得た。5年後、営業利益約8億円達成、香港社内トップに。
3.東レで初めてフィルムのフィリピン市場に参入し、マレーシア工場立上げに大きく貢献した。
一番の課題はなんでしたか?また、その課題をどう乗り越えましたか?: 1.事業の終息は事業を開始した役員の思惑がからみ、円滑に行かない。香港閉鎖と、上海拡大をパッケージ・ディールにしたのが成功の鍵であった。
2.複数の代理店が錯綜していたため、利害が複雑にからみで、地域分担に困難がともなった。
過去の実績と、現在のワーク状況から振り分けざるを得なかった。
3.全く知見やコネのない市場への参入のため、香港で知り合いの日系の大手印刷業者に相談し、フィリピンにある自社でお持ちの代理店の紹介を受けたことが成功につながった。
どんな人にアドバイスを提供したいですか?: ・これから海外販路の開拓を予定する経営者・事業責任者
・海外事業の拡大に困難を感じている経営者・事業責任者
・新規に海外市場を開拓したいと思っている経営者・事業責任者