はじめまして。
突然ですが、私を一言で言うと、
困ってる人を見るとほっておけない「お節介」な大阪人。でしょうか。 笑
結婚後長く医療関係の職種に就き、病気や怪我をしている人と接する事が全く苦にならない毎日でした。時には聾唖(ろうあ)の方とコミュニケーションを取りたいがために手話教室まで通ったほどでした。
子供の成長とともにアロマセラピーインストラクターを取得し、地域でセミナーや小学校の香育授業もさせていただいてました。インストラクター業も香りで人が癒され笑顔になっていく事に心地いい幸せを感じていました。
話は幼少期に変わりますが、父は私が4歳の時に亡くなりました。31歳の若さであまりにも早すぎる人生でした。
のちに祖母から聞いたのですが、父が亡くなった事を聞かされた私は、亡骸の前で涙を流す事を我慢し、必死に唇を噛み締めていたそうです。
短い時間ではありましたが、父はとっても私を可愛がってくれていたと聞いています。どこに行くのも連れ歩き、洋服1枚、靴1足、髪型まで全て父が決めていたそうで、母の出る幕は無かったそうです。
今思うと、父はまるで自分の残り時間が少ないことを知っていたかの様に一生分愛してくれたのかもしれません。
母の実家は飲食店をしており、母も店を手伝いながら父が残した少しの蓄えとで生計を立てていました。決して楽な生活では無かったと思いますが、
それでも中学、高校と学生時代は楽しくやりたい事を好きなだけさせてもらいました。
今でも交流のある友達は私の「財産」となりました。
祖母は「父親がいないからと後ろ指差される人間にはしたくない。」と、とても厳しく躾けられました。当時の私は真面目な祖母を面倒臭く感じることも多く反抗ばかりしていました。
バブル絶頂期に就職。仕事も順調で全社の新入社員の中でトップの売り上げを継続。
負けん気根性が爆発してました。
23歳で結婚。26歳で長女誕生。まだ若かった私は何でも自分でやらないと気が済まない性格で、実家に帰ることなく子育てが始まりました。何もかもがはじめてのことで心身共に疲れはててしまい泣き止まない娘を抱いてあやすことすら拒否してしまった時もありました。今思えば、半人前の私に育てられたむすめの方が可哀想だったと思います。
その4年後長男を出産しました。末っ子で男の子の彼を溺愛しました。甘えん坊でいつも私にベッタリの彼の成長はほかの子供よりも緩やかな成長だったため、同世代の子供たちより遅れをとっていましたが、大丈夫。そのうちに出来るよね。って…あまり気にも止めずに仕事と子育ての両立の日々でした。
ところが小学校中学年頃にあることがきっかけで、
そのうち出来ることばかりでは無かった 事実を知りました。
私は自分を責めました。
もっと早く気がついていれば何か変わったかもそれなかったのに。と…
主人は信じようとはせず向き合おうとはしませんでした。
主人も突然の事でショックだったのでしょう。
私は息子の人生を案じて未来に希望を持てず、暫くは良からぬ事ばかり考えて過ごしました。そんな彼も中学生になり、できない事は相変わらず沢山ありますが、
言葉が達者でケンカをすると完全に負けるほど成長し (笑)
整理整頓は苦手、毎日サッカーに明け暮れ、戦国武将をこよなく愛する不思議君です。
彼とは真逆に長女は自ら進んで中学受験をして希望の学校に入学しました。
家族で団結して掴んだ夢に明るい希望しか想像できませんでした。
ところが長女が中学2年の頃、勉強、クラブ、学校生活が上手くこなせず、マイペースな彼女へのストレスから私は不安定な感情が続いた結果、軽い鬱病をわずらいました。
彼女と一緒に生活する事が出来なくなり彼女は祖母の家に引き取られました。
生真面目な私は「子供を捨てた人間。母親失格」思い悩み、孤独と絶望から
常に死にたい。死にたい。と叫んでいたそうです。
社会や友人とも距離を置き、心の療養するのですがまともな生活が送れる訳もなく荒果てた生活が続きました。
今思い返しても苦しく、人生のドン底を体験しました。
暫くして心にも晴れ間も見えはじめ、娘も引き取り生活も以前のように少しずつですが戻ってきた頃、「このまま社会と断絶した人生を送るのは私らしくない」と感じ始め、
どうせ働くなら「心の感じるままに、好きな事が仕事と言える環境で働きたい」と思っていた矢先、パート情報誌に一枚の広告が出ていました。
新規オープニングスタッフとしての採用でしたがどこにでもある普通の広告が後に運命の一枚になったのでした。
100人近い応募の中、見事採用。そこで見たもの全てが衝撃でしかありませんでした。
社員の向上心の高さ、会社発展の為の経営努力、感謝以上の感動を与える経営理念。
何よりもスタッフを大切に考える社風に暫くはついていく事が出来ないほどで、人の温かさと愛に溢れた場所でした。神様はもう一度私に「前向きに生きること」、「今の小さな幸せを感じるマインド」をプレゼントしてくださいました。
今までこんなに仕事を楽しめた事がなかった私は、スタッフにも仕事にも夢中でのめり込みました。1年目に貢献したスタッフに贈られる「輝人賞」(キラビト)も頂き、いつしかネガティブな感情の多かった私もポジティブな言葉をたくさん使うよになっていき、折角なら残りの人生は誰かの役に立ちたい。できる事なら社会貢献の出来る仕事でお返ししたいと考え、一大発起、「お節介を仕事」に出来るならと、
「結婚相談所 Smile Wedding 実咲」を2014年春にスタートさせました。
未婚の男女に人生の大イベントをサポートする事で、相談所の出会いであってもときめく恋愛を。そして、結婚の向こう側にある残りの人生が心身、経済力共に豊かになっていただけるよう、また少子化問題にも歯止めをかける事で、日本の未来に明るい希望を感じて。
と夢はでっかく有りますが、主婦の企業では、 金無し、知恵無し、何より人脈無し。の無い無い尽くし。そんな時Facebookのスクールで人生2度目となる人と人との繋がりを神様からいただきました。
全くソーシャルネットワークを理解せず、スタート時はわずか7いいね。友達は20人ほど。それがわずか28日で1000いいね!友達は4000人越え。倍々ゲームのように望んでいるものがどんどん手にはいります。
人脈10倍速SNS講座も開催2年で述べ150人の方にお越しいただきました。
「夢を実現する現実」を体感。
「ソロプレナ マスターマインド アカデミー」起業塾卒業後は
ビジネスマインドもブレない軸が出来て、
現在は女性起業スタート支援の講座を大阪で開催しています。
「全てを諦めない女性の人生」を全力で応援します。
仲人 小山 りえはインターネット「ゆめのたね」ラジオバーソナリティーとしても活躍中
http://www.yumenotane.jp/simple-mind
360度笑顔で…