公共交通機関における車椅子ユーザーの不便さとナビゲーションシステムの更なる必要性についてお話できます

エキスパート

氏名:開示前


■その他
いつごろ、何年くらいご経験されましたか?: 1991(平成3)年から現在もなお経験中
どちらでご経験されましたか?: JR各社 京王電鉄(電車・バス) 西東京バス NAVITIME YAHOO google
どんな人にアドバイスを提供したいですか?: 様々な会社で車椅子ユーザーに触れたことが無い、或る程度以上の役職の方にアドバイス出来ると思います。

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氏名:開示前

≪最終学歴≫
昭和62年3月南日本コンピュータ学院専門学校(ソフトウェア本科)卒業
主にBasic、COBOLを習得

≪経歴≫
昭和59年春、私が高等部2年に在学していた養護学校に、昭和天皇が行幸でいらしてくださり、それを機にパソコンが1台導入されましたが、当時はまだ使いこなせる人が教職員にも居らず、独学でbasicを習得し、これをきっかけに情報処理の専門学校に入学致しました。
当時、健常者50人程のクラス3つがある中、車椅子利用者は私だけでしたが、同級生や先輩達に助けられ無事に精勤賞を取り、上位の成績で卒業することが出来ました。
昭和60年5月の専門学校在学中より、父が開業する歯科医院において、オフィスコンピュータにカルテ内容の入力をする等の事務補助を4年間しておりました。
その後、障害者として親元にいつまでも居ては駄目になってしまう、親も安心出来ないと考え、平成3年1月に上京し、一人暮らしを始めました。それと同時に、障害者のための運動を主な事業としてやっておりました作業所(第一わかこまの家)に入り、バザーやパソコン講習講師などの地域密着型の活動から、バリアフリーマップ作製や交通行動などの全国規模の運動まで、中核メンバーとして4年ほどやっておりました。
そこに平成6年12月頃、作業所に別の施設(ワークショップおちかわ屋)より、施設に来て利用者にパソコンを教えてくれる人を紹介してほしいと依頼があり、私が出向くことになりました。その施設では主に野菜などの自然食品や身体に優しい雑貨などを障害者自らが仕入れ、販売するということ事をやっていましたが、ちょうど介助者派遣もはじめようという時期でしたので、故郷に介助者派遣事業を持ち帰りたいと考えていた私は、自らの勉強になると考え、拠点をそちらに移し、自然食品販売にレジスター入力や在庫管理などで携わりながら、事業立ち上げにも関わっておりました。
しかし、中心的に頑張っていたメンバーが、志半ばにして病気で亡くなってしまい、介助者派遣事業は立ち行かなくなり、同時期に自立生活センターが起ったこともあり、派遣事業は終結するという残念な結果になってしまいました。
その後も食品販売の方で頑張ってまいりましたが、施設の運営母体の考えが、私の考えと違ってきてしまい、話し合いを重ねましたが、共にやっていくことが困難になったと考え、平成18年4月、現在の施設(グループG)に移ってまいりました。

こちらでは、ポスターやポップを作成したり、DTP印刷やホームページ作成維持管理、移送サービスのシステム開発等をしたりしております。
また、上京した頃より、『ピア・カウンセリング』『コ・カウンセリング』の勉強を重ねてまいりましたので、どんな人とでもコミュニケーションが取れたり、他人の話を傾聴したりする能力には自信があります。


職歴

グループG

  • 2006/5 - 現在

おちかわ屋

  • 1994/1 - 2006/3

第一若駒の家

  • 1991/1 - 1994/1

鹿児島ビル歯科医院

  • オペレーター 1984/6 - 1989/3

謝礼金額の目安

¥30,000 / 1時間

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