氏名:非公開

Essential Education Center (エッセンシャル エデュケーション センター) / アドバイザー

(相談時には公開されます)

Takarazuka, Hyogo

こんなことお話できます


自己紹介

二十数年間、全国展開の大手進学学習塾(能開センター)で、現場の教室責任者・地区の統括責任者を務めながら、新規教室の出店の調査・交渉も行う。出店ラッシュ時には、こちらの業務に専従することもあった。
併せて、「能開の合宿」の責任者として、勉強合宿や体験合宿の企画・運営の責任者を20年近く兼務。一夏だけで3000人の動員を誇り、おそらく延べでは数万人の参加者の面倒をした。旅行業法を遵守するため、子会社の旅行会社を設立してもらい、社長も務める。
また、阪神震災後に「生きる力」「人間力」の重要性を考慮して、小学生を1年間通して環境の良いところで預かり、集団生活を行う山村留学システムの「能登の学校」を石川県能登半島で企画から運営までを担当する。
能開センターの運営会社 ワオ・コーポレーションが店頭公開し、合宿や山村留学はリスクが多いと株主から指摘を受け、実施されなくなる。
そんな2003年に能登半島に 能登空港が開港することが決まり、地元の地域活性化のNPO能登ネットワークの事務局長とオファーをいただく。山村留学の企画運営者としての実績が、都市と田舎の交流事業を任せられると依頼だった。
2003年から2010年までこのNPOの事務局長と、収益事業・旅行業務を行う「有限会社のと」の社長を務める。
なお、1995年、2003年、07年には災害ボランティアセンターの責任者をさせていただいた。阪神大震災・中越地震・能登半島地震である。それも、東灘区・川口町・輪島市門前町諸岡地区と天皇や総理大臣が最初に訪れた最大の被災地であった。
能登を引き上げたのは、震災後の大規模な復興事業が、私が震災前から積み上げてきた事業企画と同じようなモノがあり、現地の下請けのように扱われたためである。
その後は、鳥取県大山山麓で農業と観光による地域おこし、大阪や東京で水陸両用バス運行による新規観光の企画運営、シャッター商店街の助成事業の現地責任者など、地域活性化の業務に、企画から運営までの全ての業務に携わっている。


職歴 / 学歴

  • 2017/2

    Essential Education Center (エッセンシャル エデュケーション センター) /アドバイザー

    2017/2 在職中

  • 2016/12

    一般社団法人 神戸六甲健康保養地研究所 /事務局長

    2016/12 在職中

  • 2013/3

    守口市ららはしば商店街 /現場責任者

    2013/3 2014/6

  • 2011/9

    日本水陸観光株式会社 /水陸バス運営部 責任者

    2011/9 2013/3

  • 2010/4

    第三セクター 伯耆町黒ぼくリゾート大山高原協議会 /事務局長

    2010/4 2011/6

  • 2003/9

    株式会社 のと /代表取締役社長

    2003/9 2010/3

  • 2003/9

    NPO法人 能登ネットワーク /事務局長

    2003/9 2009/12

  • 2003/9

    有限会社のと /代表取締役

    2003/9 2009/12

  • 1980/6

    株式会社ワオ・コーポレーション /新規事業部部長

    1980/6 2003/8

  • 1970/4

    大阪府立春日丘高等学校

    1970/4 1973/3

  • 1975/4

    関西大学

    1975/4 1979/3