氏名:非公開

公認会計士

Koshigaya, Saitama

自己紹介

【幼少時代】
1965年11月18日
東急バスの運転士、バスガイド夫婦の長男として、
東京都目黒区大岡山「東急病院」で生れる。



電車好きで、とにかく電車に乗ることと、
電車がたくさん止まっている車両基地を見ると
「高まる」こどもであった。



小田急線の新宿‐小田原間の駅名を諳んじて、
周囲のおとなから誉められて有頂天になってた、なあ。



世田谷に当時住んでいた親戚の家まで、
知らないおとなの後ろにぴったり付いて、
「電車でタダ乗り」
(本来はこども料金がかかるが、おとな同伴を演じて・・・)
して遊びに行ったりしてた。



ある日、迷子に間違われて
田園調布駅の交番に連れていかれ、
パトカーに初乗車!⇒警察署へ護送され・・・
⇒母親に警察署まで迎えに来てもらったことも。。。



【少年時代】
1972年4月
「お受験」で相模女子大学小学部に入学。
1学年2クラス。
40人学級に男子が7人だけ、という、
いまとなっては天国な環境で学ぶ。
通学もバス乗車だったので、同方向の女子ふたりと一緒。



ただし、そんな酒池肉林な環境は
2か月ほどしか続かなかった。



両親が仲違い⇒母親について行くことにして、
母の故郷の北海道へ転居。



北海道の母の実家は、
隣の家まで数百メートル離れているど田舎。
電車のない環境は、生きる歓びを見失い、
こども心に東京への憧れを抱き始める。



転校先は1-2年生が同じ担任という複式学級。
田舎の環境になかなか馴染めず、
引越ししてから学校に行きはじめるまで数か月を要した。



そして転校先は街中の学校に併合され、
2年生からは40人クラスの1学年6クラスという
地元ではマンモスな学校へ。



【珠算をはじめる】
1973年6月
小学2年から、珠算塾に通いはじめる。
週3回1時間づつ、まじめに練習はしていたと思う。
ただ、なかなか上達しない。



検定試験を受験する級はステップアップするのだが、
なにせあと一歩で不合格が続く・・・。



塾の師匠から誘われて、
週3回から土日を含め毎日2~3時間練習して
北海道地区、全国レベルの競技会で好成績を目指すクラスへ。



こんどは、とことんスピードを競う練習に明け暮れ、
検定試験は受けさせてはくれなかった。



毎日通わねばならず、遊ぶヒマがなくなり、
そしてつらい練習が続いたため、
何度か練習をサボって遊んでしまうことがあった。
そのたび、師匠が自宅まで迎えに来て連れ戻されたり・・・。



ついには、毎日の練習にネを上げて、
週3回のクラスに志願して戻してもらった。
その時に合格していたのは8級のみ。



珠算をやった証としては、かなり寂しいレベルなので
せめて1級を取ってから辞めたい、ということで
地道に練習を重ねる。



そして小学4年生の終わり、
3月の検定試験でついに1級に合格!



始めて2年。
「やっててよかった!」という成功体験(!)は、
その後の自分を変えた。



わがままながら、
師匠にあらためて毎日練習するクラスへ戻してもらい、
スピード+正確さを追い求める練習の日々。



小学4年生の終わりで1級だったのが、
小学5年生になってから初段⇒三段⇒五段⇒そして、八段!へ。
小学6年生で九段。
そして北海道の「全道大会」小学生の部個人総合優勝。



1979年3月
中学1年生で最高位の十段を取得・・・。



勉強も運動もダメダメなこどもであったが、
珠算の世界では、当時ではそれなりに知られる存在に。



【高校・大学時代】
珠算以外に何のとりえもない少年であったため、
自分の進路、将来を悲観していた。



とりあえず大学までは行っておきたい、くらいに考えて
高校で「進研ゼミ」通信講座で学んでいた。
ある月の付録に「資格を取ろう」という内容の企画があり、
そこで「公認会計士」という資格があることを知る。



「医師」「弁護士」と並ぶ難関国家資格!らしく・・・
「税理士」よりもカッコよさげ!(⇒女のコにモテそう!!!)
という理由で、高校2年生で公認会計士を志す。



公認会計士になる当時の一般的コースとしては、
大学の教養単位を取得=1次試験免除!2次試験から挑戦。
だったので、大学は入れればどこでもいい!
となって、地元から通えて会計学が学べる大学へ。



4年間の間で志が変わらないのなら、
就職しないでホンキで目指そう!
と考えていたが、ホントに変わらなかったので、
大学3年生の秋から
大学+専門学校で日商簿記の受験勉強を開始、
大学4年生の6月に92点で日商簿記1級を取得。



大学卒業後はいよいよ上京して
就職浪人の立場で、公認会計士を目指すことに。



【就職浪人時代】
1988年4月
東京の予備校に通うため、千葉県松戸でひとり暮らし。
週3回、江戸川区東葛西にあった珠算塾でこども達を教えながら、
珠算の競技も続けつつ、受験勉強にいそしむ。



なぜか突然女子(特に珠算部系の女子高生)からモテだし、
彼女も出来て楽しい毎日ではあったが。
あるとき、当時の彼女の両親から厳しいひとことをいただき、
ホンキで受験勉強に専念することに。



1989年5月
国民珠算競技大会(当時)に東京都代表で出場。
怖いくらいに調子がよく、
個人総合競技で全問正解、満点を獲得!
同点決勝プレーオフまで残り、
全国大会「準優勝」に輝く。



これで珠算競技に悔いがなくなり、
公認会計士受験の勉強に専念へ。



【若手会計士時代】
1990年9月
来年も受験しなければならないと思っていたし、
アルバイトと並行しての受験勉強に限界を感じていたため、
監査法人に入社して働きながらの受験を考え、
最初に声をかけてくれた青山監査法人(現あらた監査法人)に
合格前に入社。



バブル真っ盛りな時期で、いわゆる売手市場。
飲ませて食わせて・・・という
いまとなっては考えられないリクルート環境の下、
飲ませてもらえるはずが、
飲ませて楽しませる「逆の立場で」合格発表を待つ。



1990年10月
なぜか試験の神様が自分に微笑み、
公認会計士第2次試験に、「運だけで」見事合格!
受験者6,447名のうち、
合格者は634名
(当時としてはゆとりの合格率、9.83%)であった。
試験ではまったく手応えがなかったのに、なあ。



合格してしまったことで、
英語ができない癖に
外資系事務所に入社してしまったことを悔やむ。



時には外人マネジャーの下で働かされ、
時に監査調書を(できない)英語で書かされ、
この環境で働くことに限界を感じる



【中堅会計士時代】
1994年4月
公認会計士試験最後の関門、
第3次試験2度目受験の翌日から、
仙台事務所に志願して転勤。



1994年9月
念願の公認会計士となる。
監査法人の中堅メンバーのひとりとして、
宮城、福島はじめ東北6県に本社を構える会社の
上場支援コンサルティングと会計監査を中心に、
現場チームリーダー(主任とか、インチャージとか)を担当。



いくつかの会社を
ジャスダック市場上場へお手伝いさせていただく。
上場して、自分の仕事先の窓口担当者らが
自社株を多数取得して上場後に高値となって
「お金持ちとなっていく過程」を何度も目の当りにし、
いずれは自分も・・・と密かな野望を抱く。



1998年夏
故郷の札幌事務所へ異動。
ここでも同様の業務を担当したほか、
地元有志が立ち上げた
ベンチャー航空会社の
設立直後の資金調達支援、監査、
内部統制コンサルティングを受け持つ。
ここでの経験が、いまの自分の礎になる。



1999年7月20日、結婚。
奥さまも北海道の出身の方。



2003年2月。
東京出張の折、ふと東京事務所の上司に呼び出され、
野村證券への出向を打診される。



「ノルマ証券」とも揶揄される過酷な環境下、
自分がどこまでできるか試してみようか、と考え、
これを受諾。



公開引受部に所属し、
クライアントの株式上場支援に携わる。
2年数か月の出向生活のため、東京に逆戻り。
葛西の有名ラーメン店の傍に居を構える。



監査法人時代には担当するチャンスがなかった
「東証上場」「移籍上場」「不適当な合併等審査」対応の支援、
そして公開引受部長特命の案件を担当し、
数々の会社の上場成功に結びつける。



【そして・・・監査法人を退職】
2005年夏
出向を終えて監査法人の札幌事務所に帰任。
もともと、のほほんと田舎で仕事できればいい、
って思っていた自分であったのだが。



野村證券での2年余りで考え方が変わったこと、
何より当時の北海道経済の状況下、
上場を希望する会社がほとんどなくなってしまい、
やりたい仕事がない!
新たなチャンスを求めるべく、あらためて東京に戻る決意を固め、
2006年6月、監査法人を退職。



証券会社系の投資ファンド会社、
独立系IT会社、
ジャスダック上場の外食企業等を経て、
現在は某建設会社の経理部長として
千葉県君津市にて勤務中。



【ボウリング観戦にハマり、⇒のいちゃωと出会う】
テレビを地デジに代えた2010年、
たまたま「P★リーグ」を見てハマった!
(確か第25戦1回戦の名和×姫路×小泉奈津美)



ここから毎週欠かさずP★リーグを見て、
Youtubeで過去の映像を見て、
高坂麻衣プロに興味を持ち。
すでに移籍していたLBOに生観戦(2011年5月、西船橋)。



ここからLBO生観戦に通いだして、
その年の7月、
「U30」第1戦。高尾スターレーン。



右投げなのに、
レーン左側からボールを投げて、
思いっきり右側にスライスする!



それが見事にストライク!!!



あと一歩で第2ラウンド進出、という惜しい展開で、
やたらと記憶に残るボウラーと出会う。



2011年8月
アメブロがきっかけで、
そのボウラー=のいちゃωこと
岩見彩乃選手とつながりを持つ。
彼女が所属するボウリング場に出向いて、
ボウリングを始める。



のいちゃωのバックアップから繰り出される
「型破りなストライク!」が見たくて、
その後LBOの試合に彼女を応援しに行く。



2011年12月
【第1回次世代P★リーガー発掘プロジェクト】応募へ、
のいちゃωの背中を「ひと押し」。



そして岩見彩乃選手は、
まさかの
「次世代P★リーガー・・・第3号」合格!



ついには2015年、三度目の正直で
JPBAプロボウラー「岩見 彩乃プロ」へ・・・。



以後、P★リーグ観戦を中心に、
バックアップの岩見 彩乃プロを
「バックアップ」するのが、



自分のライフワークになっている。



同時に、
Facebook
「岩見彩乃ファンのページ」管理人、
「元LBOプロボウラーを応援しよう!」管理人などを
担当中。


職歴 / 学歴

  • 2014/1

    公認会計士

    2014/1 継続中

  • 北海道美唄東高等学校

  • Sapporo Gakuin University