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関東 東京

こんなことお話できます

自動車部品他多事業での商品開発・新事業・経営改善の経験での諸テーマにおける国内とアジア各国での「やる気」のツボの数多く成功。それらの手法についてお話できます

とにかく『元気な日本人』を増殖していきたいのです。 自動車部品屋が畜産排水処理を開発。45年以上売れています。退社後、別の自動車関連メーカーで役員。 リーマンショック時の経営・技術改善を指導。人員を大きく削減することなく改革。不採算の東南アジア工場でも、現地の若人の「やる気スイッチ」を完全克服。今や優良部門に大変身。その他、冷間鍛造会社や 分析測定機器メーカー、はたまた左官屋さんの経営危機を共に戦いました。自動車部品にて昭和41年材料検査立上。43年ダイカスト部門立上。44年東京都畜産試験場と畜産排水処理の共同研究責任者。公害ブームに乗り商品・売上拡大で別会社化。環境部門の商品を拡大。その間、国内外の大企業など数社に模倣されるも、その都度、主に技術力でことごとく打ち破り現在では独占状態。その後バブル崩壊で数社を吸収しました。平成17年社長退任。その後は冷間鍛造会社で「ネットシェープ成形」に関与。また分析・測定機器会社の営業企画も。その後リ-マンショックで、飯野製作所からの依頼により上記の改革に全力で取り組みました。畜産排水は全てが模範解答なく暗中模索。アイデアを試作しテスト。一歩前進二歩後退。毎月200時間以上残業は当たり前。私は責任者。でも自動車部品会社で誰も協力してくれない。なんとか協力者が出ても、後で恨まれる事ばかり。その中でたった一人の方が大恩人。後で知った事だが宇宙ロケットの開祖:糸川博士の腹心で、ロケットの発射台を創った精密板金の日本の立役者。畜産試験場のえらいさんや会社の上司は、理想論や抽象的なお説教ばかり。それに対して、恩人のその人は若い無知な私の下手糞な説明なのに、夕方になると「石橋君!」「これでどうだい?」と頼んだものを持ってきてくれた。すばらしい出来具合!感謝感動!・・・こういう経験を経て、名刺に肩書きで人を見るのでなく、「心」で見ようというのが私の哲学になった次第です。技術開発・新商品事業化・経営改善など。 難題で苦戦して暗礁に乗り上げている状態こそ、私の出番のようです。 誰での心神耗弱する時、壁が打ち破れない時があるものです。業界内の競争・グローバル化する競争。東南アジアを指導していて思うこと:彼らの方が『伸びしろ』がありますが、日本は相当、飽和状態感があります。でも基本は『あきらめた者』が負けです。そういう時に社員や関係者に、どう接すれば良いのでしょうか?人が踏ん張れない時は、自分に負ける時。そういう時のサポートは得意です。成功の美酒を数多く経験したから申し上げているのです。 この分野の今後は?・・・という設問ですが分野名は『崖っぷち救援隊』とか、それこそユニークなネーミングを最初に考えるのも良いのではないですか?上記に述べましたとおり、自分も関係者も共に勝利の美酒を飲める経験で輪が広がり、そして一緒に戦った方々が「幸せとは?」「生きるとは?」という事を体感できた事だと思います。

経営/管理部門

15000


自己紹介

私は75歳。すこぶる健康。私の知識・経験が何かにお役にたてると思い応募しました。昭和45年に自動車部品会社に入社。本業は勿論ですが、全くの異業種の畜産排水処理の開発責任者兼務。悪戦苦闘の末、今でも長寿の商品に。
私の得意①:自動車・金属加工・環境ビジネスなどのジャンル。
それよりも私の得意②:バブル崩壊やリーマンショック時など、経営環境が急激な悪化の際の改善改革・共闘…そして結果を出す事。
私は重度自律神経失調症~パニック症候群(計13年間)の経験者。そして社長経験。逆風時にのみ思い出される男。経営者の悩み・従業員の悩みの寄り添い、解決策と明るいムードで、難問と立ち向かう。「プロジェクトX」を多数経験。
地獄から生還した男。だから、どんな難問も笑顔でこなせるのです。
以上です。


職歴 / 学歴

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  • 1963/4

    早稲田大学

    1963/4 1968/3