無いものを創るの体現

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  • 研究開発

経験内容

具体的な経験の内容

エンジン吸気系部品設計、燃料電池車開発

実績や成果

1986〜1996年発売の量産車、2005FCX、2008FCX Crarity

そのときの課題、その課題をどう乗り越えたか

世の中に無いシステム部品、クルマの開発を経験して来た。お手本も無く、失敗の連続から少しづつ知見を増やし成功に導く毎日だった。

業界構造(トレンド/主要プレイヤー/バリューチェーン等)の知見の有無

あります。

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地域

国内研究所

役割

設計者、プロジェクトリーダー、管理職

規模

50000人以上

期間
1985年 〜 2008年頃

自己紹介

昭和飛行機工業では、航空機内装備品の設計、空港レーダーの設計、等を担当。鉄、アルミ、複合材料を用いた構造物の設計を担当して来た。つくば万博で走行したHSST(リニアモーターカー)のフロア設計種担当後、退職した。
Hondaに転職。本田技研の研究開発組織、本田技術研究所で24年間パワープラントの開発に従事。専門は設計。初の10年間はエンジン補器の設計を担当。話題の自動運転の実現に不可欠の基礎技術(DBW)の開発を担当しNSXに搭載した。その後24年間、燃料電池車の開発に従事。基礎研究から量産開発までを担当し、量産に際しては燃料電池本体の開発責任者を務めた。開発から本社に異動後の8年間は、自身の開発技術領域である、燃料電池車、電動車両の普及に向けた産官学の取り組みを担当。経産省の実証実験も担当し、革新技術の立ち上げの推進を担当した。自動運転に関しても、経産省、国交相、総務省とや同業他社、異業種、学との普及に向けた取り組み推進を担当。国交省主催の超小型モビリティの実証実験では、地方自治体、学との連携により、実証実験を推進した。
Hondaでの32年、量産車開発とは縁が無かったが、一貫して、革新技術の立ち上げ期を担当できたことが、私の誇りである。

職歴

開示前(決済前には開示されます)

他の経験