医師(総合診療、心療内科、漢方、臨床心理)です。顧問契約、ブランディング、記事の監修、執筆などなんでも

エキスパート

氏名:開示前


■ 具体的な経験の内容

総合診療医、心療内科医、総合内科医、漢方医、臨床心理士としてパラレルキャリアを積んでいます。

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顧問契約、ブランディング、記事の監修、執筆などなんでも

■その他
地域: 島根県、三重県において複数病院勤務。
役割: 総合診療医、心療内科医、総合内科医、漢方医、臨床心理士としてパラレルキャリアを積んでいます。
規模: 現在は開業医です。

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氏名:開示前

https://sites.google.com/view/izumo-iijima-clinic

◯医者をめざしたきっかけ

わたしは幼少時、体が強いほうではありませんでした。特に幼稚園などは数日出席しては風邪をもらって1週間休むということを繰り返すようなひ弱な子で、毎週のように近所の医院に通っておりました。院長先生はがっしりとした体格の先生で、とても頼もしく、格好良く見えたのを覚えています。

多くの患者が入れ替わり立ち代り待合室から診察室に入っていくのをみて、医者というのは「座っているだけで、多くの人に頼りにされる不思議な仕事」だと感じ、子供ながら感心したものでした。この医院は小児科を専門とされていましたが、昔のことですから内科や整形外科などにも対応しており、いわゆる古きよき何でも診る町医者でもありました。わたしは、こういった何でも屋としての町医者の姿にあこがれ、3歳の時には「大きくなったらお医者さんになる!」と周囲に宣言していたのを覚えています。

また、母は薬局を経営しており、そのこともわたしに強く影響を与えました。薬局の店舗の後ろに控え、お客の症状を問診し、適切な薬を選び出す母をみて、「知識を使って人助けをすること」に対する関心が自然に培われていきました。

◯医学生になり、医学の現状を知る

こうした背景から、ほとんど迷いなく島根医科大学に入学して熱心に勉強を始めたわけですが、ひとつ残念なことがありました。それは、医学があまりに細分化されてしまっていたということでした。

今や「内科」ですら臓器別に細分化されて10近くの専門分野に分かれてしまっています。わたしにとって、あこがれの「町医者」は「なんでも診てくれる」存在でしたから、当時から臓器別の専門医にはほとんど興味がありませんでした。

しかし、わたしが大学生だった当時は今でいう「総合診療医」になるためのカリキュラムは皆無に等しく、消去法的に何らかの臓器別の専門医をめざした研修を受ける必要がありました。

◯心理学を学び、なりたい医師像が明確になる

そうした中、たくさんの勉強をこなしながら自身のアイデンティティーを模索し、多くの葛藤を抱えて心を病んでしまったことがありました。大変な時期でしたが、「せっかく心理的にまいってしまったのだから、これを題材に心理学も勉強してしまおう。きっと将来の役にも立つはず」と考え、心理学関係の本をむさぼるように読みました。同時に、当時大学の保健管理センターにて提供されていた臨床心理士さんによる心理カウンセリングにも通うことで、自分の中の心理的な葛藤をなんとか解決することができました。

その過程で「人の心を癒す」ということは、どういうことなのかを垣間見ることができたように思え、「自分もいつか医師としての立場だけではなく、心理療法家の立場からも困っている人の援助をしたい」と感じるようになりました。

大学を卒業後は、研修先として「神経内科」を選び、初期研修を始めました。神経内科領域の疾患には、高度な医療機器を駆使しなくても、腕さえ磨けば診察でほとんど診断をつけることができるという特徴があります。このスキルが「町医者」にとって非常に役に立ちそうだと直感したからでした。

◯総合診療医を目指す

2年間の初期研修期間もほぼ終わりかけていたころ、三重大学医学部付属病院の「総合診療科」の開設を知りました。ここでは当時としては非常に珍しい「総合診療医・家庭医(≒理想的な町医者)」の養成を掲げ、外来中心の研修を提供しており、これこそわたしが求めていた研修先でした。

そこでわたしは三重大学に出向き、総合診療医になるための研修を始めました。病院を次々と替わりながら小児科、産婦人科、整形外科、皮膚科、救急科、外科、放射線科、耳鼻科、各領域の内科など、町医者に必要なことを次々と学んでいきました。気がつけば、初期の2年と合わせ、計7年間も研修医生活を続けておりました。

そういった中で特に印象深く、わたしの人生を大きく変えたのは大学病院の総合診療科での研修でありました。大学病院の総合診療科という場所は、実に様々な疾患を持った人が受診してくる場所ですが、数として圧倒的に多いのは心療内科的な疾患の患者さんたちです。こういった方々は、どこの病院を受診しても「原因不明」とか「病気ではない」などというふうに言われてしまっています。かといって精神科を受診しても、「体の症状があるなら、他を受診してください」という対応を受けてしまい、ドクターショッピングを繰り返したのち、すがるような気持ちで大学の総合診療科を受診されるわけです。

わたしは学生時代にあこがれた心理療法家としての自分を思い出し、こうした方々の心の辛さに寄添い、普通の医師が対応できない心と体の相互作用からくる症状(≒不定愁訴)を治療することに大変なやりがいを感じました。

研修医生活を終えてからは、故郷島根県に戻り、浜田市の公営の診療所に赴任し、念願の「町医者」としての夢を実現しました。町医者として多くの方々の健康管理に努めるとともに、もう一つの夢であった心理療法家としてのキャリア形成も開始し、日常診療の中に心理療法を併用していきました。さらに以前から興味のあった東洋医学も学びなおし、漢方薬を積極的に用いることで、より多くの病態に対応できるようになっていきました。

◯こどもの精神医療のリソース不足に気づく

平成30年1月から島根県出雲市大社町の実家にて現在のクリニックの全身である「統合医療 出雲いいじまクリニック」を開院し、漢方内科、内科、心療内科を標榜し、統合医療(東洋医学などを積極的に西洋医学と融合させて用いる医療)を実践しておりました。そのなかで意外にも一番多く寄せられた相談が「不登校」の診療に関するものでした。未成年が精神医療を求めても通常の小児科、心療内科、精神科では対応できないことが多く、結果として当院にたどり着かれるようで、その分野を診療できるクリニックや医師が切実に求められているのを感じました。

ほどなくしてクリニック名を「不登校/こどもと大人の漢方・心療内科 出雲いいじまクリニック」とし、全国で初めての不登校の専門クリニックとして不登校診療に注力するようになりました。そして患者さんから学びながら、オリジナルの不登校診療の方法を確立していきました。

◯大学病院での再度の研修医生活を決意する

ところがそのうちに保険診療環境がかわり、発達障害に使用していた薬の一部が精神科専門医でないと処方が困難になったり、精神保健指定医あるかどうかで、診療報酬に大きく差が出るようになってしまいました。診療報酬のことはなんとかなるかもしれませんが、将来的には精神科専門医でないと処方することができない薬剤が増え、専門医ではない私は今後少しずつ健康保険制度により手足を縛られていくと感じました。

これに対処するため令和5年4月からクリニックの診療を大幅に縮小させていただき、母校の島根大学医学部の精神科に所属するとともに、45歳にして再度「研修医」となり大学病院での勤務を始めています。

◯私の医療に対する考え

現在の医学は「エビデンス至上主義」で、医師を含む医療者はひたすらガイドラインに従うように教育されます。私が医師になりたてのころはまだガイドラインもなく、医師の見立てや治療には今よりもオリジナリティがありました。ガイドラインは一定の診療レベルを保つためには必要ですが、「現在分かっていること」の集大成でしかありません。ガイドラインに従っている限り、分かっていないことは解決できないのです。子どもの不登校や「心身に異常を感じるが診断がつかない」というような不定愁訴については今も分かっていないことばかりです。それらを解決するにはエビデンスよりもクリエイティビティが必要なのです。

・不登校は心理的な問題ではない

「学校に行こうとすると決まってお腹が痛くなる」といった不登校児の訴えはまさに心身症や不定愁訴と重なります。これまで培った経験とノウハウを生かすことができると考え、診療を続けてまいりました。その中で、思いがけず私自身の小学生の娘が不登校となり、不登校児を抱える家族の追い詰められた状況を身をもって経験しました。そして多くの不登校児や娘の診療を通して見えてきたのは不登校は心理的な問題なのではなく、背後に子どもの「精神疾患」があるということです。実は不登校という現象はその精神疾患の「症状」なのです。

子どもの精神疾患の診断はシンプルではありません。子どもは「体が重い」「不安だ」「気持ちが落ち込む」といった自分の状況を的確に把握して説明することができません。したがって大人と同じような診断基準は使えません。例えば不安を打ち消すために無意識に普段以上に元気に振る舞う子どもがいたりします。そのような子どもが登校を渋ると「怠けている」と誤解されてしまいます。また、発達障害の二次障害として精神疾患を発症しているケースは更に複雑です。

医師や心理士向けの不登校関係のガイドラインには「根気強く寄り添いましょう」というようなことばかり書いてありますが、それで解決することは少ないでしょう。子どもの「印象」「雰囲気」を感じ取り、一つひとつ投薬の効果を確認しながら地道に診断を確定していくという作業が必要です。子供に対する向精神薬の投薬は緻密で頻繁な調整が必要で、膨大な労力がかかります。しかし丁寧な診療を心掛けることで多くの不登校児の状態を大幅に改善に導くことができました。

・あえてレッテル貼り家庭の崩壊を防ぐ

不登校の子どもや家族に「これは病気ですよ」と宣言してあげることは極めて大切です。子どもに「病気」のレッテルを貼るなと言うひともいますが、病気というレッテル無しでは「お父さんが無関心なのが悪い」「お母さんが厳しいから」「この子が無気力なだけだ」と家族が悪者探しに終始して対立を深め疲弊していくケースが非常に多いからです。家族全員が納得して前に進むために、医師が自信を持ってレッテルを貼ってあげることが必要なのです。これは私自身が不登校児の親という当事者にならなければ気付かなかったことでもあります。

・不登校専門クリニックを全国に

今や不登校は社会問題となっており、私一人でできることは限られています。これまでは自分の臨床能力を磨くことで精いっぱいでしたが、これからは私の考えに共感してくれ、仲間となっていただける精神科、心療内科、小児科の先生方を探しています。今まで培ってきた診療経験や投薬のノウハウを惜しみなく提供します。全国47都道府県に不登校の診療ができるクリニックを広げることができればと思います。

◯最後に

既存の常識に従うだけでは解決できない問題があります。よく考えれば当たり前のことですが、そもそも常識で解決できるなら問題になっているはずがないのです。既存の常識は過去の経験の積み重ねに過ぎず、それがいつまでも常識だとは限りません。医療の世界でも新しい発見によって過去の常識が覆ったことはいくらでもあります。私はこどもの不登校の理解に関する常識を塗り替えていきたいと思っています。


職歴

不登校/こどもと大人の漢方・心療内科 出雲いいじまクリニック

  • 院長 2019/10 - 現在
  • 医師 2018/10 - 2019/9

社名非公開

  • 所長 2009/4 - 現在

社名非公開

  • 医科医員 2023/4 - 現在
  • 研修医 2002/5 - 2004/5

社名非公開

  • 専攻医 2004/6 - 2009/3

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