写真館における制作の経験について話せます

エキスパート

氏名:開示前


製作中。お待ちくださいませ。

■ 具体的な経験の内容

■ 実績や成果

■ そのときの課題、その課題をどう乗り越えたか

■ 業界構造(トレンド/主要プレイヤー/バリューチェーン等)の知見の有無

■ 関連する論文やブログ等があればURL

■ お役にたてそうと思うご相談分野

まずはお気軽にお問い合わせいただければ幸いです。

■その他
地域: 神奈川県
役割: カメラマン
規模: 20

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氏名:開示前

1978年(サーフィンファションがブームの時)に、中国の福建省で、7人兄弟の末っ子として、家族の愛をたくさん貰い,特に祖父が念願していた次男坊として生を授かる。小学生の頃から,日本(品川区,目黒区,稲城市)で幼少~青年期を過ごす。高校卒業後ロータリークラブのスポンサーで「小さな親善大使」として一年間スペインで留学した。私のニックネームである Aquira はここに由来する。高校時代から,外交的な性格であったが、留学を機に、外交性に拍車がかかる。友人には「口から先に生まれた。」と言われるほど,お喋り好きになる。性格は、友人らによれば,行動力がある,元気である,飄々としてる,などと言われる,ただし,第一印象は「怖い」らしい(笑),が、話すと実は優しい、とも言われる。したがって、見かけで判断されると困る(笑)。もしお見かけされたら,どうぞお気軽にお声をかけてください。 職歴など 初めての仕事は,高校時代のアルバイトで、SOGOの中にあったイタリアンレスラン(ピザとパスタ専門店)でキッチン係をした。誇れる事は,私が作った、賄いだけでしか食べられないバジルビザが、商品化された事である。その後、モンテローザグループの「魚民」でも、キッチンでアルバイトをした。その後、実家業/飲食店で、ホール兼店長を数年務めた。 高校時代から,使い捨てカメラで友人などを撮っていた,留学の際,「使うなら一流の機材を使え,大切にするから。」と近所のカメラ屋さんの主人に言われ,記憶が正しければ,富士フィルムのカメラを購入し、留学中に使用した。ジャンクカメラ,本格的な一眼レフデビューは、ニコンのFM10である。26歳の頃、どうしてもカメラの道を歩みたくなり、日吉にある東京総合写真専門学校の夜間部に、一年間在籍した。その時は美学の授業が最も楽しく,今でも影響を受けている。当時の私は、花を主な被写体にしており,横浜市の元町にあった花屋さんのオーナー兼フラワーアーティストであるエドウィン.R.モレナール氏の支援を受けて,共同展を、氏の素敵な空間で開いた。しかし、それに集中し過ぎて,進級レポートを提出できなかっため、専門学校を退学した。(その後,10年くらい後にエドウィン氏とFB(フェースブック)で再会し,さらなる親交を深め,私のメンターを務めても戴いた。 さて,話は職歴に戻るが,写真専門学校を中退後,SOGOにある写真館に勤め,更にロケーションアシスタントも経験し,最終的には慶應義塾大学卒のムービーグラファー方の専属アシスタントも務めた。たいへん尊敬していた渡辺伸次氏のアシスタント経験もある。誉である。 その後,カフェ好きが高じて,伊勢佐木町でカフェ店主もしていた。 まるでFBさまさまなのだが,偶然に知り合った,東洋書道道芸術学会の理事長,松本烏城啓介にも、師事を細く長く現在もしていただいている。人生の師匠と勝手に私が慕っているのだが,時に私の写真の生徒にもなっていただいている。誠に面白い機縁である。 アシスタント後は、フリーランスで,美容室などの依頼と趣味で、ポートレート写真を撮った,後には,建築写真も撮った。得意な撮影は、ポートレート写真,建築写真,夜景,町のスナップなどである。構図などは勘頼りで,モットーは「美なる写真の創造」である。Adobe社の編集ソフトLightRoom で、女性のお化粧と言う感覚で仕上げる。作品写真は絵画的とよく言われる事もあるが,それは元画家でもあった経緯故であろう。10尚現在/2017年は本格的に映像作家活動も始めた。以上簡単ですが,自己紹介とさせて戴きます。
カメラマン: 藤原 明 (Aquira)

P.S 趣味嗜好は,Appleファンで,その環境で音楽を聴いたり,下手ながら制作もする。また、コーヒーは、人生に欠かせないエッセンスと言えるほど好きである。


職歴

Association Elysian's

  • 代表 2018/1 - 現在

アソシエーション エリシアン

  • 代表 2018/1 - 現在

株式会社 悠建

  • 編集者 2016/4 - 現在

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