ポルトガル・フランス(パリ・ブルターニュ)・リトアニア・ハンガリーにおけるモニュメント彫刻の制作設置の考え方・手段と方法についてお話できます
個人から国・公官庁・企業からの依頼に基づいてモニュメント・彫刻の制作から設置までこなして来ましたから、立体的なものに関しては殆ど何にでも応用が利くものと思います。広い海岸から個人宅の坪庭まで空間は問いません。
■その他
どちらでご経験されましたか?: Artistとして東京都新島村・ハンガリー(文化教育省)・リトアニア(ヴィリニウス)・ペロスギュレック(仏)コートダムール(仏)・ポルトガル(エヴォラ)・等が大きな仕事で、個展も4カ国にて15回新作石彫を展示して来ました。個人的な仕事は別です・
いつごろ、何年くらいご経験されましたか?: 1971年5月 〜 継続中
その時どのような立場や役割でしたか?: 此方の扱いはマイストロー・マイスターのプロ作家として私に全て任せることが実際でした。材料・道具・機械・大型車両・必要な人材と職人・セレモニーは相手任せでした。現在「日本美術家連盟会員」です。
得意な分野・領域はなんですか?: 空間における立体彫刻の配置と設置。モニュメント作品の制作・設置
その環境空間にあった立体造形物の配置と構成。
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職歴
Artist
- 1971/5 - 現在
名古屋女子大学短期大学部
名古屋女子大学短期大学部生活学科&専攻科に勤務していました
- 生活学科長兼専攻科長 1974/4 - 2013/3
このエキスパートのトピック
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県民大学(有・単位)「美学・芸術学」における恒久的に美しさを放っている街と記念モニュメントについてお話できます
¥30,000~最初はハンガリー文化教育省から「ハンガリー国際石彫シンポジウム」参加依頼にて同国とユーゴスラビアとの国境近くの国道沿いに日本代表として{人と月と舟と}制作。ポルトガル産業振興庁からマイストロ級で国際石彫シンポジウム参加依頼にてエヴォラのパンテオン前庭、街を見下ろす場所にピンクの大理石にて制作設置。フランスはぺロスギュレック市長からの依頼にて高層住宅内公園に5m余りの記念彫刻設置。コートダムールにも設置。リトアニア独立直後国立芸術学院の客員教授として赴任していた折、最高会議議長ランズベルギス氏から直接の依頼を受けユダヤ人博物館グリーンハウス前庭全部使っても良いからと杉原千畝に敬意を払ったモニュメントを制作して欲しい。との事で「月の光よ永遠に」をノアの方舟が月の灯りだけを頼りに航行した事を重ねて現した作品です。台座はピラミッドと同じ様に、石畳の石を51.8度の四角錐に積み上げた。10年後「ユーラシア大陸の共生と協和」制作設置した。
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モニュメンタル彫刻を(形体)を制作する事におけるより恒久的な形体とはどの様に作り出せば良いかについてお話できます
問い合わせ国(国の長)公官庁からの依頼に応じて制作している現場には専門家が何時も様子を見に来ます。そしてその作品の設置場所が決められ、その場所に此方のアイデアに従って設置します。後になってそのモニュメント作品の置かれた場所が旧市街でとても意味ある街であればユネスコから歴史遺産都市として、そのシンボルとして大切にアフターケアもされている事に気付く時の自信、程嬉しい反応は有りません。その内に日本の旅行代理店会社の代表達を招待して呼び付け、延々とそのモニュメント作品について説明がされている現状を何年か後にされている事を知った時には、「あああれで良かったのだ。」と胸を撫で下ろす自分がいる。この様な私の子供達の内、二つの国に勢い立っています。
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導入すべき形あるもの(製品・商品)の選択における世界の美術デザインの良し悪しの判別についてお話できます
¥30,000~大学卒業後PARISに留学していてヨーロッパ各地で制作をユダヤ人彫刻家と共にしてきた折、関係を持つ人がふえた)日本の彫刻家として国の代表的作者として選ばれ依頼が来ます。(勿論日本からは一人のみです)依頼はそんなに数は無いが確実に最初から最後まで私一人の考えと感性によって決めて着ました。例えば1992年リトアニア独立直後には国立芸術芸術学院へ客員教授として招かれ、指導の傍らリトアニア最高会議議長から直接「リトアニアの人びとが大変お世話になった日本人が居ます。杉原千畝さん(元:領事)への思いを形にしてモニュメントを制作してくれないか?ユダヤ人博物館前の庭が空いているから貴方の考えでデザインもしてモニュメントを置いて欲しい。」と言われ、その場で承諾し、完成させて帰国した。ポルトガルでは産業振興庁からでした。